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ユダヤ人として生まれた私の宗教背景は、保守的で乾いた性質のものでした。それは、ヘブライ語の読み方を学んだり、ほとんど理解もしていない祈りの文句を暗唱したりすることに象徴されていました。シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)で学んだことと、普段の生活には、ほとんど何のつながりもありませんでした。そもそも、20世紀の後半半世紀の北アメリカにおける「宗教」というものの位置づけは、神を信じない“普通”の人々の生活への“おまけ”のような存在でした。ですから、驚くほどのことではありませんが、私は神についてこれだけが決してすべてではないのではないかと、この状況について冷ややかというか、少なくともある程度疑いの目でみていました。私は神を知らず、神とは何なのか確かではなかったので、意味のない空虚なものを「宗教」という形でむりじいされていることに腹を立てていました。
ある日、私はヘブライ学校で、ある行動を通してその怒りを表しました。ある行動とは、足下の小さい瓶を踏みつぶすことで、それは“悪臭弾”と呼ばれる、踏むと腐った卵のにおいを放つ流行りの遊びでした。友達と私はそれをおもしろがって遊んでいました。先生にとってその遊びは悩みの種で、かなり腹を立てていました。ある日先生は、私がその遊びをしているのではないかと疑い、私にたずねました。私はウソをつき、それを否定しました。彼女は今度、ラビ(ユダヤ教で先生の意)に私を神の前の説教壇の誓いの下に置くように願いました。なぜだかラビは、これをさせませんでしたが、私は動揺しました。なぜなら、私が「こんなに虚しく中味のない訓練をシナゴーグでやるなんて神様のものではない」とかなり疑う間にも、「すべてを知り、すべての後ろにひかえる全能の神は存在する」とわかっていたからです。神にウソをつくということは、不可能でした。私はなぜか、ヘブライ学校での空虚さも超え、こんなところにさえも神の存在を見出せることがわかっていました。そしてそれまでの自分だけの小さな世界を超えた、もっと大きな問題が突然浮かび上がってきました。それは、私が以前には直面したことのない、潜在的な何かへの警告でした。神様は本当に存在しているのだ!
その後しばらく何年かの間、私は自分の独立独行な道を続けました。大学時代のことで思い出すのは、家の外で布教のためのパンフレットを配布する人を目にしながら、同好会仲間とビール三昧のにぎやかなパーティーをしていたときのことです。私の友達は皆、誰もそれを気にしてはいませんでしたが、私はなぜか引き寄せられていました。「この人たちは一体、何を話しているのだろう。何が彼らにあそこまでさせるのだろう。」私は、彼らに話しかけてみたりもしましたが、友達を失うことのおそれで、それを止めてしまいました。
私の探求心とのどの渇きはますます大きくなるばかりでした。特に、私が州外の大学から、実家から通うために近くの大学へ転校した頃です。私は哲学や、スピリチュアル(精神的)な世界の本を読み始めました。そして私は、これまでは一度も思いつかなかった、ある質問をじっくり考えるようになりました。それは、「イエス・キリストは誰か?」という疑問でした。私は、彼がどんな人なのかあれこれ思いをめぐらしました。私は聖書について何ひとつ知らず、ユダヤ教では福音書(新約聖書の最初の4書:マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)は教わっていなかったのと、(ユダヤ教では経典とされている)旧約聖書でさえも、ヘブライ語で読んだことがあっただけで、英語ではなかったのであまり理解していませんでした。聖書をあまり読んだことがなかった私ですが、私の中には次のような強い印象がありました。「イエス・キリスト人は、普通の人間ではなかった。どんな組織やどんな団体の後ろ盾もなしに、自分自身でどこかへでも行き、もっているものすべてを投げ捨て、人々に真実を語ることができた人。この人の出現の時が全歴史の中心になっている。こんなことが、一体他の誰に可能だろうか!?」。私はそんな人をほかに誰も知りませんでしたし、そんなことを想像することさえもできませんでした。少なくとも、自分には絶対にできないことです。だって私は神についてさえも全く何も知らなかったのに、どうしたら人に話しをすることができるでしょう。私は神を知る人さえ誰も知りませんでしたし、イエス・キリストの為した業をできるような人を、他の誰も考えつきませんでした。
私は、このことについて全部どう思うか、ある友達にききました。彼は私に答えることはできませんでしたが、ただ一言、「ポール、聖書を読んでみたらどう?」と言いました。これは、深い考えに思えたので、私はやってみたいという強い気持ちになってきました。私は聖書に対して新しい視点で取り組み、信じる心で読みました。それによって神様は、私に聖書が本物であり、現実であることへの確信を与えてくれていました。私には、聖書を書いた人たちや、聖書に書かれている数々の目撃に関する報告についてウソが書かれていないということ(つまり聖書は忠実な歴史書であるということ)を確信していました。私の中で以前は、「イエス・キリストの話を書いた人たちは、作り話をでっちあげたのだろうか」という疑問がありました。もしでっちあげだったとしたら、誰かの人生を賭ける何かとして存在しているからには、それこそ読者に対して大変な罪になります。しかし私には、聖書が真実を語っているのだとわかっていました。
私は聖書を「マタイの福音書」の初めから読み始め、(ユダヤ教では意に反している)新約聖書のすべてを読み、それから、「詩篇」、「箴言」と、旧約の一部を読みました。私は聖書を読みながら、それを通して神様が私に見させたり聞こえさせたりしていることに大変驚き、大喜びし、そしてとても感謝していました。神は現実で、イエス・キリストに与えた勝利を、信じる心によって神を受け入れる人々にも与えます。聖書の中で書かれているユダヤ人に対する歴史と約束(予言)がイエス・キリストの犠牲(殺されたこと)と復活(死からよみがえったこと)という出来事で現実化したことに、私はユダヤ人としてはじめて気がつきました(訳者注:キリスト教徒と違ってユダヤ教徒はイエス・キリストが救世主であることや、キリストがよみがえったことを信じていない)。私たちの父であるアブラハムは、その後のユダヤ民族全体の父になることを約束された、たったひとりの息子アイザックの犠牲を神に命令されました。それと同じように、神は、ユダヤ人のためだけではなく、世界中の時間を超えたすべての人のために救世主イエス・キリストを犠牲にしました。神の栄光に感謝!これまでの歴史の全部、世の中で起きていること全部、自分の人生、なにもかもすべてのことが大丈夫なのだと確信することは、すばらしいことでした。それは単なる“大丈夫”以上で、よいこと、とてもよいことでした。
この間、神は私の人生の中で様々な状況をそろえることによって、私に神の存在を明らかにしました。私の世界は180度変わり、私がなんのために存在しているのか、少なくともだれによって存在しているのかがやっとわかり、そして神がこれからも私を保証つきで案内してくれるという確信を持ちました。神はこの世のすべてをコントロールしています。私には、これから自分の中の問題や課題を解決するための長い道のり、つまり、神による働きかけが待っているということがわかっていました(私には、それが具体的に何を意味するのか、少しの見当もついていませんでしたが、教会で教えているように、「神様を信じている」と口で告白さえすれば、それまでの人生をそのまま続けていってよい、というような簡単な過程ではないことだけはわかっていました)。
さらに私は、自分の人生の中で正しくなかったことについて気がつき始めました。私は、以前はしても平気だったことに対しても、良心の呵責に苛まれるようになりました。しかし、すべてについて悔い改めるというよりはむしろ、私は理屈づけをしようとし、私のやりたいことを正当化しようとしました。私は姦淫を続け、ガールフレンドが私の信仰に反対していなかったことによって、その関係を正当化していました。もし、彼女が私と一緒にいたいのならば、私は理由を見つけては「もう大丈夫」と思うことにしました。私は自分を喜ばせるために妥協することを選びました。それで私たち二人の関係は、ひとりは神を知らず、理解もしない、もうひとりは神に与えられたことを分かち合えないという、不適当な結ばれ方となりました(訳者注:聖書には次のように書かれています。「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。」コリントの信徒への手紙二 / 6章 14節)。私はこれによって、すぐに苦しみ始めることになりました。惑わされてはいけません、罪(神の法に反するもの)には、必ずつけを払うときが来ます!
あなたの周りを見てみてください。どうしてどこもかしこも、こんなに荒れ廃れているのでしょうか。それは、罪のせいです。もし私たち皆が悔い改め、自分の勝手なやり方を捨てたら、どんなにかいいことが待っているか、私たちにはわかっていません。悔い改めることが簡単なことではないことは十分承知の上です。むしろ実際には、全く不可能なことです。だからこそ、イエス・キリストは来たのです。イエス・キリストが来なければ、私たちが今得ている希望はもらえなかった。神こそが、私たちの罪を宣告し、悟らせる、光なのです。神は私たちの罪を、神の犠牲の血によって清めてくれました。彼こそが、私たちがもはや罪を犯すことのない、神の中の新しい人生へ、私たちを引き上げてくれる力です。彼こそが道であり、彼こそが真実、そして命です(訳者注:聖書には次のように書かれています。「イエスは言われた。“わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。” 」ヨハネによる福音書 / 14章 6節)。私たちは、神とともにある限り、間違えることはありません。そして、彼とともにいなければ、正しくあることはあり得ません。
話しを続けましょう。私たちは神が認めていなことに対して正当性を見出そうと考え、結婚しました。物事はいい方向には進んでいませんでした。外見では大丈夫かに見えましたし、時にはうまくいっているようにさえも見えましたが、内心では、何が悪いのか悩み、苦しみ始めていました。結婚してから1年が経ちそうだという頃、私たちはイスラエルに引っ越しました。私はいつも、イスラエルに住んでみたいと考えていました。私たちは、仕事をし、ヘブライ語を学びながら、移民を新しい風土に慣らすために企画されたプログラムにのって、ネゲブ砂漠にあるキブツ(訳者注:キブツとは、ヘブライ語で“集結”などの意味をもつ共同体のこと)に住むことになりました。私はイスラエルにいられることをとても幸せに思っていた反面、私の内部にある混乱のようなものは、引きつづき育っていました。その当時、いつかは覚えていませんが、神が誰かを私に遣わせて話してくれるよう、祈ったことがありました。私は、自分自身では何が悪いのかを理解することができないとわかっていたからです。神は私に、聖書の真実については人間を介さずに見せてくれましたが、しかしこの状況では、私は誰かの案内が必要であると強く感じていました。私は神に泣き叫びました。神は私にそれを尋ねる心を与えました。
キブツに住む私たちのプログラムへの参加者は、世界中から集まった人々でした。みんなユダヤ人でしたが、ビクターとマリリン・ハフィチャック夫婦のみがユダヤ人ではありませんでした。彼らは私たちの隣に引っ越してきました。私は、何が彼らをイスラエルに引き寄せたのだろうと、興味をもっていました。彼らが着いて間もなく、みんなが集まるダイニングエリアの食事の時間、私はビクターになぜイスラエルに来たのかを尋ねました。彼は、最初聖書の中で読んで思いついたことを話したり、何と答えていいのかわからない様子でしたが、その後急に話しの調子を変えて、はっきりと言い放ちました。「主が私たちをここに送りこんだのです」。私はあまりにも驚いて倒れそうでした。私はこんな辺ぴで人気のない砂漠におり、私に誰かを送ってほしいと神に頼み、そして今、私の隣りに座っているこの男は、神がここに彼を遣わせたと宣言しているなんて。さらに驚くことには、ビクターは、神が彼を私に遣わせたという目的を知らず、私はそれを知っていたということです。私は彼に言いました。「神は、あなたを私に会わせるために、ここに連れてきました」。
私は、感謝の気持ちでいっぱいで、誰かと神様について、そして神様を信じることについて話せることに興奮していました。私たちは毎日たくさんの話しをして、私は神がビクターとマリリンにずっと教えてきた多くの事柄について学びました。私はビクターに私の人生について話し、特に結婚に関わる事情を話しました。彼はすでに(私たちがまだ何も話し合っていないうちに)、神様の聖霊により、私たちの関係が結婚ではなく、姦淫だ(神様が結んだ二人ではない)と見えていました。その後、「神がビクターを私に送った」という言葉で、ビクターが見た二人の関係に関する事実は、真実であると確認されました。
ビクターにこれが見えたのはひとつですが、実際にそれを口に出すことにはリスクを伴いました。なぜかというと、まずひとつ目は、今日の宗教観(宗教以外でもあり得る)では、結婚が過失だとか、悪事の結果だとみなすのは間違っている、と考えられています。ふたつ目に、イスラエルでユダヤ人以外がユダヤ人に神のことを話すことは、特に論争を招きやすい内容について神から示されたとなると、キブツやイスラエルさえからも追い出される危険に見舞われ、さらには肉体的な危険さえ伴うという恐れがあります。私たちは、同じプログラムにいた男2人にこの話しをしたことで、彼らはなんとビクターに対し、そのような意図をねらっていたのです。
ビクターは最初、ひとりが神を信じていてもうひとりが神を信じていない私の結婚について、それが間違っているから、その結婚を終わらせるべきだとははっきり言いたくありませんでした。それよりも私に自分で気づいて欲しかったのです。しかし、私にそれをなんとなくほのめかすだけでは私は気がつかず、十分ではありませんでした。最終的にビクターは、私の盗んだような結婚、つまり、最初からしてはいけないとわかっていたのにしてしまった結婚について話しました。そして私には、いわばその盗んだものを返す必要がありました。ビクターが私にそれを話した瞬間、自分が間違っていたと悟りました。私が以前、神に泣き叫びながら誰かの案内が必要であると祈った答えとして、神が私にビクターを遣わせたのだとわかっていました。これは疑いなしに、神からのメッセージであり、私の悩みに対する答えであると確信していました。私は、その悩みの原因を理解するために聖書の探求を始めました。「エズラ記」の9章と10章で、イスラエルの民たちが外国の(つまり、同じ信仰をもたない)妻たちと別れ、彼らは神の命令によりそうしなければならず、(私たちのケースではいなかった)子供たちさえも追い出さなければならなかったことを読んで、すべきことがわかってきました。
しかし、ビクターが言ったことや聖書で読んだことを信じた後でさえも、私は理屈づけを始め、私はこの難しいステップ(私が欲しかったことでは全くなく、むしろ逆でした)を、もしかしたら、もうちょっと都合のいい時まで延期できないかと考えました。ある日、ビクターがどこかへ行っていて、ビクターの妻マリリンがアイロンがけをしているとき、私はそのことを打ち明けました。私は、言いました。「神様から、正しい時機が“今”であると言われるのを待つつもりだ」。すると、彼女は言いました。「あなたは、主から聞くことは2度とないでしょう」。この言葉が、私にどんなに強い衝撃を与えたことか、私は一生忘れることができません。これで私の決心は固まりました。私は自分が何をしなければならないのかをわかっていましたし、神の慈悲によって、私はそれを行動に移すことにしました。
その結果、ビクターとマリリンはキブツから追い出されました。私は彼らの後を、何日か後になって追いました。私の中には、この件に関してはまだまだたくさんの悩みや闘いがありましたが、主は信頼に値し、私を慈悲深く守り、赦し、清めて、私の中に神の本質を表すために、すべての闘いや火を通らせて私を引き上げてくれました。
主は、神がビクターによって私に与えたその御言葉、忠告、審判を証明しています。ビクターは、時に、私に送られた預言者(神様の言葉を話す人)以上であり、友以上です。ついに、主の聖霊は、私たちを共にし、私たちは神の中で命を分かち合い、そして私たちは兄弟となりました。
神のなさる業すべては、イエス・キリストの中で成就されます。非ユダヤ人がキリストを通して神を信じるようになったことの始まりは、パウロ(英語ではポール)という名のユダヤ人を神が彼らに送ったことからでした。今度は、神様が肉体的には非ユダヤ人のビクターを、ポールという名の肉体的なユダヤ人にキリストへ向かわせるために遣わせました。主の体はひとつです。神は、ビクターとポールという2つの身体からひとつの新しい人間をつくり、共に魂と真実の中で神に仕えています。これは聖人たちが待ち望み、祈り続けていた神の時代であり、すべての創造物が待ち受けていたものです。神の名が永遠に讃えられますように!「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ」(詩篇 150:6)
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ポール・ベンジャミン・コーヘン Paul Benjamin Cohen
アメリカ、モンタナ州へレナ Helena, Montana, USA